理性優位になりすぎる現代社会
私達坊主もそうですが、一般の方もみな理性を大事にして生きています。
一番は本能と理性とのバランスが整っていることでしょう。
私について言えば、坊主のくせに感覚的なもの、感じる心が弱かった気がします。
いや坊主だからこそ、理性的な部分を強化してしまったのかもしれません。
とにかく私は理性が強い方でした。
それが私が生きていく上で、大きなパワーロスとなっていたことは間違いありません。
理性人間を打ち破るには深い瞑想状態に入ること
とは申しましても、理性を自分がどれほど使って、パワーロスを生じさせているかは、深い瞑想状態に入らないとわからないのです。困ったことに、そういう人ほど自力で深い瞑想状態に入れないというジレンマが生じます。
そこが座禅や瞑想の一番難しいところです。
理性に頼らないことに気づくことができれば、瞑想もうまくいくことはお約束しますし間違いないことですが、それまでの道のりは大変なのです。
パワーアップする方法 本能に火をつける
今回は理性と対極たる本能についても書いていきたいと思います。本能をむき出しに生きることは、悟りの道の一番程遠いことかもしれませんが、実は瞑想は本能に火をつけることができるのです。
誰もが自分をパワーアップしたいと思っています。
しかし、パワーアップとは理性がパワーアップすることではなく(これは火消しの役割です)、本能がパワーアップするという意味です。
理性は本能をがんじがらめにしてパワーも落としてしまいます
ですので、理性が発達しすぎると、せっかくの本能についた火を消してしまいます。本能は感情です。魂です。人間の最も大事なものです。
魂が強い人は、本当にたくましいです。
生きている実感が強いのです。
理性が強すぎる人は、器まで小さい感じがします。
生きている実感も少なくなるのも理性のマイナス面です。
私は理性に頼りすぎ、物事を利得で判断しすぎていました。
その器の小ささが、結果的に何事も思い通りに行かないことにつながったと思います。
覚醒瞑想で自分の能力を制限してきた原因がわかります
薄々気づいていたことが、瞑想が深まるにつれて、初めてはっきりと気づくことができました。
同時に本能のパワーがどれだけ私に欠けていたことにも気づくことができました。
同時に本能のパワーがどれだけ私に欠けていたことにも気づくことができました。
そして本能を大事にする生き方(坊主にあるまじきことですが)を心がけてから、今まで私を制限していた枷が次第に外れていったのです。
坊主の私が本能の大切さを説くことは、本来間違っていることかもしれません。
しかし、本能を大事に今こそ生きるべき時だと思うのです。
理性が強いと本能は小さくなり、本当がむき出しになると理性は小さくなる。
この相反する問題を解決することが、実は人生なのかもしれません。
そこで瞑想は心のバランスを絶妙に整えてくれるでしょう。
断捨離 「理性」を捨てられた人間は幸せに生きられます
一般に世の中では、本能は悪徳だと教えられます。いわゆる煩悩もそうです。本能と密接に関係しています。
我々坊主も理性の大切さを説きますが、理性の役割を小さくして行かないと瞑想はうまく行えない矛盾を持っています。
瞑想をやっている人ならよくお分かりでしょうが、理性は、瞑想状態に入る最も大きな妨げになるのです。
つまり、理性をうまくコントロールしなければいけないということです。
都合のいい時に理性を使う、必要ないときは捨てる。
これができる人が、大きな見返りを得られるのです。
いつでも頼ってしまう人と、必要な時に使える人では、大きな差が生じます。
深い瞑想状態に入れば本当の自分を発見できます
さて、理性を少なくすればするほど瞑想状態が深く入ります。そうなると、本能の役割が大きくなります。
本能とは人間の原始的なものですので、感情や欲望と密接です。
ですから、瞑想状態が深まると、自分自身に対して素直になれるのです。
理性という虚飾を剥ぎとった自分になれます。
瞑想をやっていいところは、そんな自分に出会えるのです。
これはとても楽です。
てらいも虚飾も演技もない、素の自分です。
心が落ち着くのはそういうことだからでしょう。
私はそんな自分に出会った時、本当に瞑想をやってよかった、と思います。
『私は私である』この思考に行き着くのです。
『私は私のままでいていい』となるのです。
本当に心の重荷がとれたように楽になりました。
心を抑え込んで生きるとストレスと鬱憤が溜まり毒が放出されてしまいます
だからこそ、私は本能を大事にした生き方をしなくてはいけないと思っています。あまりに自分を抑え込んだ生き方は、自分に毒になるばかりでなく、周りにも毒を吐いてしまいます。
これは覚醒瞑想誘導の鬼才岩波先生に教えられたことでもあります。
なぜ毒を周りに与えてしまうのでしょうか?
自分に満足できないからです。
自分自身が信用ならないからこそ、他人も信用できなくなります。
イライラします。そこで嫉妬や歪んだ欲望が生まれるのです。
本能を満たせられる人間の多幸感とやる気のエネルギー
このブログの本題、覚醒瞑想トランスに話を戻しましょう。さほどに理性は時として自分自身への毒となって返ってくるのです。
だからこそ、深い瞑想トランスに入ることで、心のバランスを得なくてはいけません。本能を満足させなくてはいけません。
本能をは気持ちいい感覚を好みます。
そうです、瞑想トランスでいくらでも本能に気持ちよさを与えることができるのです。
そうなると本能は満足してくれます。
だから、いらだちや不安感が少なくなってくれます(同時に抑圧を開放してくれる役割もある)。
満足した本能は次にどんな事になるでしょうか。
覚醒瞑想トランスは、本能と直接対話ができます。
そのとき考えたこと、思ったことが、素直に本能に届いてくれます(理性はそれをシャットアウトしてしまうのです)
最も深い人間の原始レベルが活性化します
例えば岩波先生の作り出す覚醒瞑想トランスは、その余韻の時に、まさに本能の圧倒的なパワーを実感できます。本能というと、様々な欲望が上に上がってくる、と捉えそうですので、言葉を言い換えますと、己の情動が活発に動いているのです。
全五感が非常に研ぎ澄まされているのです。
脳科学で言いますと、脳内伝達物質がほとばしっているのです。駆け巡っています。
この感覚はすごいです。
感動と驚きに満ち満ちた感覚です。
それが脳も全身も支配します。
究極の気持ちよさです。
脳の一番深い原始の回路が開いてくれるのです。
その時、はじめて己に言葉で言い聞かすことができるのです。
なりたい自分、それでも壁となっている自分に説き伏せることができるのです。
どんなありがたい高僧の教えすら届かない心に、ダイレクトに響き渡ります。
これが『本能に火をつける』なのです。
深い瞑想状態は理性を失うのではなく理性も鋭くなります
しかし、心配なさらないでください。特殊な意識の流れ(覚醒瞑想トランス)が続くのは、限定されています。
次第に理性的な自分に戻ることができます。
しかし、訓練によって、いつでも瞑想状態に近い状態で本能に刺激を与えることで、理性と本能のバランスがとれるようになるのです。
それが逆に理性を使いこなすことにもつながるのです。
ですから、覚醒瞑想トランスの可能性は、まだまだ私が思っている以上に無限に広がっているに違いません。
それは岩波先生も良くご存知のようで、脳覚醒技術をより進化させるために常に研究しているそうです。
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