いらいらする人間はストレスをためてしまい長生きをなかなかできない人ですね。
ストレスは万病の元ですし、まず心が苦しいです。
その後に脳から内臓までくまなく侵食していき、本物の病気になってしまいます。
その後に脳から内臓までくまなく侵食していき、本物の病気になってしまいます。
AC内科医の自律神経健康ブログ 精神的ストレスによる病気の治し方
(幼少時代からストレスを受け続けてきた内科医のストレスと疾患のブログ)
ストレスのない、ストレスがあってもストレスに侵食されないようになるには、瞑想や座禅が一番です。
ただしこれは理想論であり、瞑想や座禅をしても必ずしも効果が出るとは感じられませんが。
ストレスをなくそうと座禅や瞑想をやると、最初は心が落ち着いたりします。
しかし、慣れてくると進化してもいいはずなのに、反対に雑念やストレス源のことを思い出してしまいます。
ただしこれは理想論であり、瞑想や座禅をしても必ずしも効果が出るとは感じられませんが。
ストレスをなくそうと座禅や瞑想をやると、最初は心が落ち着いたりします。
しかし、慣れてくると進化してもいいはずなのに、反対に雑念やストレス源のことを思い出してしまいます。
精神の統一や精神を鍛えるということは、なかなか大変な道です。
そして人間とは厄介で複雑な思考能力を持っています。
それは潜在意識の厄介さでもあります。

ストレスか幸せか、道を分ける割り切り力
さて、なぜストレスを感じるほどのイライラやクサクサを振りほどくことができないのでしょうか?
悪いことがあっても、まあ、そんなこともあるさ、と思える人は、イライラよりも、精神が鍛えられています。
都合よく考えられ、すぐ割り切りができる人は、とても幸せに生きられます。
とどのつまり、人間力と呼ばれて久しいですが、割り切りがつく人間ほど、人間としての力量、いわば器がでかい人だとみなされます。
一度過ぎたことはもう取り戻せないものです。
それをいつまでも後悔して悩んでいても何が戻ってくるのでしょうか?
人間はどんなに頑張っても過去にはもう戻れないのです。
戻ろうとすること自体が、すべての無駄になり、割り切り力までも奪ってしまうのです。
無駄なことをいくらやっても、しょうがない。
それならば、もっと別のことに労力を割くべき、だというのが、より幸福により健康に生きる上で大切なことだと思います。
戻ろうとすること自体が、すべての無駄になり、割り切り力までも奪ってしまうのです。
無駄なことをいくらやっても、しょうがない。
それならば、もっと別のことに労力を割くべき、だというのが、より幸福により健康に生きる上で大切なことだと思います。
座禅、瞑想や精神修行で効果的なやり方、考え方
瞑想も座禅もそうです。雑念や自我やあるいは心の魔境と否が応でも向き合わざるをえない状況に必ず陥ります。
瞑想が深まるでしょうか?
精神統一がより向上でき、悟りの道が開けるのでしょうか?そこで割り切りが出来た人ほど、劇的に瞑想状態が深まっていきます。
座禅で組んでいてもそうでしょう。
仏教は悟りを開くことが目的とよく言われますが、より一般化して言いますと、己の脳を何らかの方向で覚醒させること、といえます。
脳が覚醒するには、割り切る力が必須になります。
とらわれない心です。
さらにいくと無念無想です。とらわれない心です。
うじうじ、くよくよ、これはみなさん嫌いではありませんか?
自分でやっているときは案外気が付きませんが、第三者として客観的に見ると、とてももったいない生き様です。
でも、人はどうしてもやってしまうのです。
でも、人はどうしてもやってしまうのです。
なぜなら、人間は考える葦だからです。
現在の瞑想法はあまりに普通であり生ぬるいと感じます
しかし、脳が覚醒するには、人と同じ事をやっていたのでは埒が明きません。
なぜならば、覚醒するということは、一般の人から抜け出すことを意味するからです。
人と同じ事をやっていたのでは、瞑想の極致に立つことは不可能と考えてください。ですから同じ瞑想をするにしても、人と同じように瞑想をやっていたら、大きな効果は得られないということです。
それだけ時間を失い、更に瞑想をやり続けても取り戻せる保証は全くありません。不安や焦りは雑念よりももっとたちが悪いもので、瞑想中それに取り憑かれてしまうと魔境に入ってしまいます。
そういう意味では瞑想は危険です。
もちろんですが、瞑想が深まった人を参考にすることはとても大事なことです。
でも、それは人と同じ事をやるのではなく、違うことをやった人の教えを請う、ということです。
同時に、なぜ瞑想が深まらないのか、なかなかうまくいかないで壁の前に立ち尽くしている人を反面教師にすることも大事となってきます。
同時に、なぜ瞑想が深まらないのか、なかなかうまくいかないで壁の前に立ち尽くしている人を反面教師にすることも大事となってきます。
そこにうまくいかない理由と、うまくいかせるためのヒントが必ず隠れています。
また瞑想をすればするほど、私達に足りないことを気づかせてくれるのです。
また瞑想をすればするほど、私達に足りないことを気づかせてくれるのです。

覚醒瞑想体験時に弾ける気づきの数々が悟りの道に通じる
例えば、今回のテーマに照らし合わせると、私は割り切る力が弱い、という気づきです。
自分の中に足りなかった弱点を気づくことは、決してマイナスでもありませんし、卑下することもありません。
飛躍するための材料にしか過ぎません。
実際に私は自分の弱点をたくさん気づいて、普通ならば落ち込みますが、不思議と気持ちが楽になっていきました。
実際に私は自分の弱点をたくさん気づいて、普通ならば落ち込みますが、不思議と気持ちが楽になっていきました。

人と同じ精神修行では悟りは開けない、深い瞑想を味わえません
今まで座禅瞑想やヴィパッサナー瞑想、超越瞑想など様々な瞑想法がありましたが、どれも価値があるものです。
とはいえ、そのやり方でなかなか上手くいかないのが現状のようです。
お坊さんと言えども例外ではありません。とはいえ、そのやり方でなかなか上手くいかないのが現状のようです。
実は雑念と自我と煩悩にとらわれていて、なかなか抜け出すことに難儀しています。
もちろん、そんなことを表明することはありませんが(笑)
顔は立派で徳の高い高僧ですら、そうなのです。
顔は立派で徳の高い高僧ですら、そうなのです。
それほど座禅や修行で脳を覚醒させて、悟りに近づくことは難しいことなのです。
つまり、人と同じ修行をしていたのでは、先人の域にはたどり着けません。
覚醒させるには、人と同じ道を歩まない、それが結局割り切る力にも通じてくるのです。
私は人と同じ道を歩みませんでした。
私は人と同じ道を歩みませんでした。
それは落ちこぼれゆえです。
だから偉そうなことは何も言えません。
私が偉そうに言えることは、その覚醒瞑想トランス状態を体感しているということの一点です。
ゴータマ・シッダールタ(ブッダ)と一般人の違いは何でしょう?
それは絶対的な体感をしたかどうかの差です。
ゴータマ・シッダールタはそこから悟りを開けた。
たった一つの点ですが、これほど大きな差はありません。
そしてネット上を見回しますと、理論だけが卓越している人がいます。
ゴータマ・シッダールタ(ブッダ)と一般人の違いは何でしょう?
それは絶対的な体感をしたかどうかの差です。
ゴータマ・シッダールタはそこから悟りを開けた。
たった一つの点ですが、これほど大きな差はありません。
そしてネット上を見回しますと、理論だけが卓越している人がいます。
かくいう私も偉そうに上から目線でブログを書いてしまいましたが、少なくとも私は絶対的な深さの覚醒瞑想状態を味わっているということに関しては、一家言あるのです。
一番言いたいのは迷い苦しみ落ちこぼれた私ですら、そこらへんの霊験あらたかな高僧の瞑想状態の遥か高みを味わっているということです。
落ちこぼれでも誰であっても、究極の瞑想状態に入れる方法があったのです。
この雑念だらけの無念無想とは程遠かった私でさえも味わえたのです。
それは絶対的な体感でした。
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