悟りを開く条件とは? そして座禅や瞑想が最高にうまくいく秘訣とは?
座禅や瞑想を思い浮かべるとまず第一に、「静寂」「沈黙」「純粋」といったキーワードが出てくる人は多いと思います。
この忙しない世の中で、大多数の人がストレスや重圧から心身を消耗しながら生きています。
自分の理性に縛られ、やりたいことを制限し、社会の制約の中で自由に生きられない現実があります。
そんな疲れた人にとって、座禅や瞑想、あるいはヨガやマインドフルネス、またスピリチュアルなどの精神世界がとても魅力的に感じます。
生きやすい自分に生まれ変わらせてくれる期待を持ちます。
これらは効果がまったくないものもありますし、相性がピッタリと合えば、心の底から癒やされて生きる活力を取り戻す効果を与えてくれますが、効果を上げるためには、自分の精神面と身体面を「静寂」「沈黙」「純粋さ」にどっぷり浸らせなければなりません。
静かな環境でやるという意味ではなく(雑踏の中でも実は瞑想も座禅もできます)、己の内面を静寂と純粋と沈黙の中に突入させなければ、効果が出ません。
これらの障害となるものが、己の雑念です。
瞑想や座禅に少しでも取り組んだ人ならわかると思いますが、雑念があるからいつまでたっても、深い瞑想状態に入れないのです。
一度うまく行っても、次にはまた別の雑念に支配されてしまうのです。
あらゆる人間にとって、純粋さは必要不可欠なことです。
純粋なあらゆるものが削ぎ落とされ、リセットされた意識こそが、本来あなたが有している創造性、直感力、集中力、本能力をフルに発揮させてくれるのです。
逆に言いますと、これらの脳力を発揮したいのならば、瞑想や座禅によって、純粋な己の意識にアクセスしなければなりません。
そこには判断をする心、期待する心、捨てられない心、緊張する心、欲望の心を一旦捨てなければなりません。
捨ててこそ拾う神あり。
そこから瞑想トランス状態という、純粋で静寂で研ぎ澄まされた意識の世界に入れるようになるのです。
私も捨てることを覚えてから、急激に座禅や瞑想や呼吸法がうまくいくようになりました。
そして、純粋で研ぎ澄まされた沈黙と静寂の中に身を置くことに成功したとき、涙が溢れて止まりませんでした。
しかし、沈黙や静寂を作ろうとしても、そこに意識の負荷がかかると、雑念の悪魔に襲われるだけです。
沈黙や静寂とはただ「在る」ことに身も心も浸すことです。
刺激的なものからも心身を話さなければなりません。
日常の五感の使用をシャットアウトすることから、深い瞑想状態は始まります。
刺激や欲望から離れられずに、己を瞑想トランス状態で自分の内面と対峙しようとしても、決してそこには至らず、騒々しい雑念と戦う羽目になります。
雑念には勝てません。
雑念を捨てようとしても、捨てようとする心が雑念になります。
雑念が消えないのに消そうとすることを繰り返しても、堂々巡りで頭が疲弊していきます。
だから修業が必要です。
スマホやテレビやインターネットやゲームから距離を置く時間を作るべきです。
そして毎日座禅や瞑想に取り組む時間を作ることです。
時間がなくて多忙な人でも、それでも作ってみてください。
そして、その時間で何かをなそうと変な期待をしないことです。
効果を期待しないことから、効果が生まれてくるものです。
もしくは誘導される瞑想法により、脳に本当の静寂やリセットされた純粋な感覚を味合わせることも一つの手です。
覚醒瞑想トランス体験のえらい効果 参照のこと
私達の心はあまりにストレスフルでプレッシャーばかりで、心配ごと、不安ごとに消耗しながら生きています。
あまりに情報過多な時代に生きてきて、脳の処理が追いついていません。
そこの悪い流れを断ち切るには、沈黙、静寂さを脳に教えてあげることです。
そして純粋な脳を取り戻せたとき、本当の能力が発揮されるでしょう。
純粋こそ悟りです。