覚醒瞑想トランスは人間の最も深く最も原始的な部位にダイレクトに入り込めます。
人間は、理性があり感情があり本能があり意識があり無意識がありその集合体です。
そして日常生活を送る上で、私達は時に本能を抑え理性を全開にして生きようとしています。
そうしなければ社会から隔離されてしまうからです。
しかし、そこで社会に飼い慣らされてはいけません。
社会で生きていると本能の動きがなくなり衰えていきます
たしかに理性は他者と社会とうまくやっていくために必要です。
私がこうやって文章にしているのも理性の力です。
もうひとつ付け加えるならば、魅惑的で神秘性のある覚醒瞑想トランスのブログを書きたい!という気持ちは感情です。
この大きく分けて理性と感情の二つの力のバランスで私達は生きています。
このせめぎあいで理性が優位になった人、感情的な人と分かれてきますが、実は理性優位になった人は、その分、感動を減らしています。
理性は人間の本能の動きを制限してしまうのです。
本能の情動こそが生きた喜び、実感を与えてくれるのですが、私達が生きる社会はこの喜びを減らしてしまう厄介なシステムを持っています。
近頃感動が少ないと思っていませんか?
瞑想、座禅や精神統一に私達は何を期待しているのでしょう
瞑想をやり始めるのも、何か理性だけではやっていけないことを潜在意識で自覚しているからでしょう。
理性や人間の脳の新しい部分で司ることへの限界を感じているからこそ、それを突破するために人は瞑想を始めるのだと思います。
実際に人間の潜在意識には恐ろしいほどの深層と可能性が隠されています。
そういう意味では、瞑想は原始的本能への回帰を求めるためにやるといえなくもありません。
原始的な脳が開いた時、強烈な瞑想状態に入れます
それに強く深い瞑想状態に至った時、人は必ず原始的な脳が開いています。
この原始的感覚こそが生きている喜び、神仏、宇宙との一体感を生み出してくれます。
しかし、立派に社会人をやっている人間にとって、この原始的感覚とは程遠く生きざるを得ません。
人間の脳は普段味わっていない感覚をすぐに取り戻すことは難しいのです。
だから社会生活を行い、いくら大自然の中で静寂な禅寺で座禅を組み、瞑想修行に励んでも、再び社会生活の中でストレスに晒されれば、そのストレスに瞑想で掴んだものが上書きされてしまう恐れがあります。
心理学にも新近効果と言われるものがあって、人間は一番近くに味わった感覚に重きを置くのです。
いつまでも中途半端に瞑想修行→社会生活→瞑想修行→社会生活を送っていたら、焼け石に水の状態をずっと続けることになります。
だからこそ何十年の瞑想修業の成果が突き抜けてくれないのです。
精神修行から戻ったら現実にすぐ引き戻されてしまう原因
社会で生きていたら原始的感覚がすり減らされるわけですから。
ですから、一度すべてをリセットして、理性も地位もすべてはずした原始的感覚に浸ることから始めるのが重要です。
人間のもっとも強く古い感覚はそこです。
中途半端に瞑想で心が整ったぐらいのレベルでは社会生活ではすぐにその貯金を使い果たしてしまいます。
が、原始的感覚の中に身に置くと、私達が普段から身にまとっているものがいかに心を整って生きるのに邪魔になっているか悟ることができます。
原始的感覚による生きることの本質的理解に至るのです。
あまりに私達現代人は原始的感覚を爪弾きにしてはいないでしょうか。
社会生活の雑音を完全リセットでき生きるエネルギーを分け与えてくれた
そして原始的感覚の感動といったらありません。
巷で言われる岩波先生の覚醒瞑想トランスの感動感激の声は、まさに原始的感覚に身をおいたからこそです。
ただ情と動と感と能のみの世界に身をおく感動なのです。
生命の喜び、存在の喜びとも言えるでしょう。
何より原始的感覚はパワーを与えてくれます。
太古の時代からある人間の最も本質的なものなのだから、生命パワーが出ないわけがありません。
生きるエネルギーを阻害している原因も破壊することができます。
人はそこから出発して現在の隆盛まで来ているのですから。
古い瞑想法では浅い瞑想しか味わえないため突き抜けられませんでした
日常社会のすべてを脳と心がリセットすることの大事さはだれでも理解していることでしょう。
しかし言葉では表現できても、本当はリセットは難しいのです。
ましてや原始的感覚に浸ろうとしても浸る手段が一般にはありません。
一般の瞑想法にしても、その方法の限界からして難しいのです。
ただし岩波先生誘導の覚醒瞑想トランスでは、修行が進めば原始的感覚の感動を味わえるようになるでしょう。
それは参加されている人を見てもわかります。
演技ではない本物の原始的感動を表現している人はたくさんいます。
原始的体感に身をおき、その感動を味わい、すべてを捨て去り、ゼロから自分を構築しなおしてみましょう。
それまで見えなかったことも見え、悟れなかったことも悟れるかもしれません。
精神統一される時、理性を誰も使っていません。
定まっています。
精神が鍛えられる時、現代的な理性を使って鍛えません。
悟りを開ける条件とは、原始的感覚の感動、直感の中に身をおいた時になるものです。
究極の悟りまで行かなくても、人生を大きく変える気づきのインスピレーションが花開くことはお約束します。
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