脳と人生哲学や瞑想や精神を鍛えることに興味ある人必読
私が待ちに待っていた岩波先生の書籍が出版されました。
瞑想トランス状態=脳覚醒状態についての記述、紹介も書かれてあり、他にもこう生きるべきという力強い言葉が並んでいます。
タイトルは「奇跡の脳覚醒 頂点を極める成功哲学」です。
瞑想や精神世界を追い求めている方もいい刺激になるでしょう。
岩波先生は世界一の脳内と潜在意識に関する実践的カリスマですが、その理論も卓越したものがあります。
それも私のようにくどくなく、非常に簡潔で明快です。
なにより岩波先生が言いたいことは、いくら理論が卓越しても、一個の体感には遠く及ばないだろうということなのです。
たった一度の深い強い感覚の前にすべてはひれ伏すしかないもの
百聞は一見にしかず、億理は一感にしかず、これを強く言いたい本だと思います。
本の中で岩波先生がおっしゃられている脳覚醒状態ではまさに様々なことが気づけるのです。
この気づきや理解が深まる状態を岩波先生は「悟り的気づき」と表現しています。
まさに何度も悟り的気づきを私も味わいました。
どんなに座禅をして苦行をして野山を駆け回ったところで、なかなか人生を一変させる気づきがやってくることは少ない。
しかし、単純な話、覚醒瞑想トランス、脳覚醒状態が深めれば、それだけ気づきがやってくるものです。
つまり私やってきた瞑想法は、どんなに頑張っても自力で深く悟りを開くまではいけないということです。
これは私の修行不足もありますが、いかに悟ることは難しいかということの裏返しでもあります。
岩波先生の嘘のような本物の実力とは
ところが岩波先生の導く覚醒瞑想トランスは、私が長年取り組んできた瞑想の積み重ねを簡単に短期で超えてしまったわけです。
さらにその体感の凄みが増せば増すほど味わえれば味わうほど、今までどんなに考えてもわからなかったことに気づけたのです。
そう、悟りにしても気づきにしても生まれるものなのです。
とはいえ、他力本願で待っていれば勝手に悟りが開けるかというとそうじゃありません。
私の人生に目的があるからこそ、悟りたいとい気持ちが生まれ、それを追求し、その結果生まれるものなのです。
悟りや気づきは生まれるもの、この体験により、私はいかに頭を使って悟りを求めようとしていたか、そこにも気づかされました。
さらに私はこの世に存在していいという非常に強い肯定感にも気づくことができました
。
私は私のままでいていい、そして私自身を発揮して開放して生きてもいいという気づきです。
これが悟りだと思います。
決してお釈迦様の域に達することだけが悟りではないのです。
なぜこういう気づきと悟りに至ったのか?
これはやはり瞑想トランス状態が飛躍的に深まったからでしょう。
岩波先生の驚異的な能力に他なりません。
脳の深い扉を開く方法を唯一発見している
岩波先生は脳が啓かせる(ひらかせる)ためのスイッチを知り尽くしています。
私の瞑想法や精神修行やその固定観念からすれば嘘のような技であり、奇跡でした。
私が存在していいという強い実感を得て、感動のあまり涙が流れました。
こんなにも理性から吹っ切れた私が、心地よく気持ちよくそして快感なものとは思いませんでした。
月並みな言葉で言えば自由です。
「私は私のままでいればいいのだ」ということは誰であっても頭の表面では考えることができます。
そう思えたらいいなと憧れます。
しかし誰もがその悟りには至れない。
なぜでしょうか?
直感とインスピレーションを与えてくれた深い覚醒瞑想トランス
ずっと超越できなかった自分の限界を簡単に破れました
理性を超えられないからです。
脳が大きく啓けなかったからなのです。
しかし、気づきや悟りは直感です。
そう思えたらいいということをはるかに超えた次元で、直感として「そう感じる」それだけなのです。
そこに理屈も説明書きもいらない、ただ私は「存在していい」なのです。
徹底した肯定感、理由なき自信、そして全てのものからの解放感、これほどの快感はありませんでした。
悟りを開く方法や悟りへの誤解、それを悟らされた本でした
こういう私の体験からみても、今回の岩波先生の『奇跡の脳覚醒』という書籍は、悟り的気づきの重要性、理屈ではなく体感・情感が大事という話は、思わず大きく頷いてしまうほど合点の行くことでした。
生きとし生けるもの、すべてにおいて悟ったものは本当に迷いがありません。
そしてもっと大きく頷いたことは、『悟った時、それはすでに悟りではない』という一文です。
あることを悟って迷いがなくなっても、そこで安心していたら、そこで悟ったものはすでに形骸化してしまうのです。
悟るということは悟らないことを悟るということなのです。
悟らないまま人生を突っ走ることなのです。
この岩波先生の言葉に、私もまだまだ認識不足を思い知らされました。
「私は存在していい」という肯定感はたしかに私にとって重要な事でした。
しかし、存在していいという感覚は、私が今後何か社会貢献などをする時に、どれだけ役立つでしょうか?
まあ自己否定感が強い人が社会貢献をするよりも、人のために役立つ権利はあるというぐらいでしょう。
私の自己肯定感はそれはそれとして、さらにもっと私の目的のためにそれをうっちゃっておいて走り続けなければならないのです。
それなくては、私はただ「私は存在していい」なんてお題目を唱えているただの言葉をしゃべるコケシ人形になってしまうということです。
とはいえ、私が覚醒瞑想トランスで得られた肯定感は決して消え去ることはないのだから、さらに高みを目指して走るだけなのです。
こういうことを気づかせてくれた岩波先生には本当に感謝の言葉もありません。
どんどん気づいて悟って、さらに気づいて悟って、その感動を味わいつくしながら、私も岩波先生に負けないように人生を突き進んでいく所存であります。
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